図書館の本をすべて読んだら
作家であり著名な経営者の方にインタビューをしたことがあります。その方の書く文章に魅了されていた私は、こんな質問をしました。「なんで、そんな文章を書けるのですか?」。すると返ってきたことが、小学校のころ、図書館にあった本を片っ端に読んでいたから…。そして、それがなぜ可能だったのか?というと、小学1年のときには、すでに小学6年〜中学生で習う漢字をすべて覚えていたから…とのこと。このことから、わたしは、もしも、みんな小学1年(7歳)のはやいタイミングで、小6〜中学生で習う漢字をすべて記憶し、読み書きができるようになっていたら…たくさんの本を読み、どんどん知識を吸収していって、いわゆる自学自習の土台と日常がふつうになる!と思い、7歳からの学びのリテラシー(読み、書き、記憶。そして習慣化)の世界をひろげていきます。

12歳の春「なんだ、勉強できるんだ」
「なんだ、勉強できるんだ」…中学1年になる12歳の春、たまたま塾の先生と出会い、成績は一瞬で上がり、上位成績者へ。そして、その後の人生が一変します。その先生は、学び方の基本(土台)を手渡してくれました。その土台は今も人生を支えてくれています。もしあのとき、あの先生に出会ってなかったら…「学び方」を教えてもらっていなかったら…。あのときの原体験から「落ちこぼれ…勉強ができない原因は、じつは学び方を学んでなかっただけ。それを手渡してくれる先生がいなかっただけ…」という仮説が芽生えていきます。学校で教えてくれない…本の読み方、ノートのとり方、記憶の仕方、必ず習慣化できる方法など、学び方を学ぶことを誰もが手にできたら…と思うようになりました。偶然(たまたま)、まわりに「学び方」を教えてくれる先生や親がいた子は、勉強ができるようになり、そうでない子はかつてのわたしがそうであったように「じぶんは、勉強ができない…」というラベルを大人になっても剥がせないまま。「学び方で世界が変わる」光景をすべての子どもたちの日常と未来へ。


「うちの子が…」夢みたいな光景
いま、小学校の夏休みの宿題に読書感想文がない学校も…。一方、中学になると、人権作文や読書感想文や自由研究など、読んで、調べて、書いてまとめる宿題が大量に出されるようになっている。そして、途方にくれる子が多いと聞きます。もしも、読書感想文=読み・書き・まとめる力が、小学校のうにちに、楽勝!になっていたら、学年が上がるほど、大人になるほど、活躍できるようになるのに…。でも、いまやその機会すらなくなり、いきなり本番(読んで、書いて、まとめて!)がくる。そして、多くの子は挫折してしまう…。せっかくのチャンスを。また、「うちの子、読書感想文が書けない…」とお母さんは案外多いもの。でも、お母さんが心の中で思っているその子を投影している。これは読書感想文のみならず日常のすべてに影響します。つまり、読書感想文を通して親子の関係性が変わり、その子が最大に潜在力を引き出されるか?学校の先生から「できない子」とラベルを貼られていました。だから、すべての科目、いつも、「じぶんは勉強ができない」という前提で学びの世界がつくられていく…。その世界を抜け出し、「うちの子が…」夢みたいな「学び方で世界が変わる」光景をすべての人たちに。

小さな習慣で、運はひらく
たとえば、習慣化を可能にする1GOAL10List®という道具があります。「自閉症やADHD(かも)のわが子たちですが、朝の支度が終らない日々から、朝の支度がサクサクおわって、最後には自分でたてたゴールを達成するという日々を過ごしています」というお母さんをはじめ、「うちの子は、◯◯ができない…」と思い込んでいたのが、その日から「サクッとできちゃった」に変わる光景がひろがります。よく、天才の共通点は「習慣」にある…と言われます。誰でも、天から与えられた才能があります。毎日、毎日、つづけることで才能をひらき、運も味方につけて「天才」になっていく。なにも、天才とまでいかなくても、成果を出す人は、必ず「小さな習慣」を毎日重ねています。勉強にせよ、仕事にせよ、片づけ、ダイエットにせよ。いまの世の中、「こうすれば、うまくいく!やり方」は検索ひとつで手に入ります。問題は、それを実行し、継続できるかどうか…。かつて、習慣化は気合と根性と性格…といわれていました。いま、習慣化は誰もが「道具」でサクッとできるようになっていくリテラシーへと進化していっています。